リハビリ生まれのピラティスの歴史

そもそもピラティスメソッドとは、誰がどのように創りだしたのでしょうか?

多くの人々を健康に導くのは医療ではなく健康のための基本原則と簡単なエクササイズが可能にするという現在の予防医療にも通じる考え方は、今から70年前にジョセフ・ピラティスという一人の男性によって提唱されました。

今記事ではピラティスの生い立ちからピラティスメソッド確立の歴史を追い、ピラティスとは一体何なのかその真髄を探ってみましょう。

考案者ジョセフ・ピラティスは病弱な少年だった

1880年ドイツのデュッセルドルフ近郊で生まれジョセフ・ピラティス。なんと意外にもリウマチ熱、くる病、骨軟化症、喘息などに苦しみながら幼少期を過ごす病弱な少年でした。

そんな彼は幼い時から自分の体の体質改善と体力増加の為に、ボディービルや器械体操、レスリング、ヨガ、ボクシング、スキー、ダイビングなどといったあらゆるスポーツに取り組み、14歳の頃にはとても鍛錬された魅力的な体となっていたそうです。

特にギリシャの文化や彫刻の美しさ、それに表現される強さにもとても関心を持ち、東洋と西洋両方の身体訓練法を研究し、武術をマスターし、ついには人体解剖図のモデルになる程すばらしいバランスの肉体を築き上げ、サーカスで演技するためサーカス団と共に旅をすることになりました。

ピラティスエクササイズの誕生は収容所でのリハビリから

30代を迎えたピラティスはサーカス団とイギリスに渡り、サーカスのパフォーマー、さらに警察に護身術を教えるトレーナーを努めることに。その矢先の1914年に第一次世界大戦が勃発。ピラティス氏は、敵国の人間としてマン島の収容所に送られてしまいました。

収容所で看護師をしていたピラティス氏は、自身が治療した患者のリハビリを行うことに。
寝たきりで動くことが困難な患者に対して、マットレスのベッドに使用されているスプリングを使って体の動きをサポートしたり負荷をかけたりする方法を思いつきました。

これが現在の「キャデラック」と呼ばれるピラティスマシンの原型となります。

そして健常な収容所仲間にもマットエクササイズを教えて、仲間の体を鍛えあげました。
その結果、1918年にイギリスでインフルエンザが大流行して数千人が死亡した際、彼がいた収容所内では誰ひとりインフルエンザにかかるものがいなかったのだそうです。

戦後は帰国してドイツ軍に従事したものの、アメリカへの移住を決意。
マンハッタンでピラティススタジオを開設することになりました。

バランスやしなやかさが求められるモダンダンスの世界で圧倒的に支持される

マンハッタンにオープンしたピラティススタジオにはさまざまなクライアントが集まりました。特に当時のニューヨークで盛り上がりを見せていたモダンダンスの世界に支持され、ジョージ・バランシンをはじめとする歴史的なダンサーたちが弟子を連れて集まりました。


ジョセフ・ピラティス初期のレッスン風景。

https://www.youtube.com/watch?v=ru0ruEZeqa0

ジョージ・バランシンが振付したモダンダンス

それらのプロダンサーたちは、ダンサーに求められるバランス感覚やしなやかな柔軟性をピラティス・メソッドが可能にしてくれると確信したのでしょう。

ピラティスが求めた結論「コントロロジー」とは?

その活気あふれた環境の中で出筆されたピラティス氏記念すべき1冊目の著書「ユア・ヘルス」。この中で説明されるピラティス氏による造語「コントロロジー」がピラティスの真髄と言えます。

コントロロジーとは?
体(Body)と頭(Mind)と気力(Spirit)が完全に調和し、心と体が一体であるべきという彼の考え方に到達するための原則。そのため体だけではなく頭もすごく使うエクササイズである。正しく呼吸をしながら全身の筋肉をくまなく意識して指示を出したとおりに動かし、その動きをスムーズに連続させていく。そのために6つのポイント①呼吸 ②正確性 ③センタリング ④集中力 ⑤コントロール ⑥フロー(流れるような動き)を重視する。

ピラティスとはどんなエクササイズ?基本原則まとめ

2015.11.06

1945年、2冊目の著書である「リターン・トゥ・ライフ・スルー・コントロロジー」では、その理論に加えピラティス自らの写真によりエクササイズが解説されています。

マンハッタンにスタジオがオープンしてから40年の1965年、なんと彼が入居していたビルが火災になり、その時に吸い込んだ煙の後遺症によって1967年にジョセフはこの世を去りました。

その後、コントロロジーの教えを引き継いだ第一世代の弟子たちは世界中にピラティス・メソッドを伝えました。

ロマーナ・クリザノヴスカ
バレエダンサーだったロマーナは彼のもとで何年もの間ピラティスを教え、国内ではじめてのインストラクター養成コースを始めました。多くのインストラクターを養成し、彼の死後は妻のクララとともにスタジオを引き継ぎました。
イヴ・ジェントリー
有名なモダンダンサーとして活躍し、彼のもとでピラティスを学びインストラクターとしても働いていたイヴ。乳房切除術からピラティスエクササイズにより腕と胴体が完全に使えるようになるまで奇跡的な復活を果たことにより多くの医師が驚きました。1968年ニューメキシコ州サンタフェに「イヴ・ジェントリー・スタジオ」を開設。
ロン・フレッチャー
モダンダンスの第一人者マーサ・グラハムに師事するとともに、晩年のジョセフのもとでピラティスを学び、その後西海岸にピラティスを広めた第一人者として多くのセレブやハリウッドスターにピラティスを教えました。キャンディス・バーゲン、キャサリン・ロス、スティーブン・スピルバーグなどを指導。彼のピラティスはよりダンサーらしいスタイルで、オリジナルより複雑な動きを含んでいます。
カローラ・トリエー
ダンサーであり曲芸師の彼女は彼のもとでピラティスを学び、マンハッタンのレノックスヒル病院にて整形外科ヘンリー・ジョーダン医師に師事し解剖学的知識をさらに促進させ、医療とピラティスの経験を組み合わせていきました。
キャシー・グラント
ダンサーであり膝の怪我をおっていた彼女は彼のもとでピラティスを学び、ロマーナとともにピラティスを教えることを彼が許可をした2人のうちの1人です。ニューヨーク大学でピラティスを教え、その後自分のスタジオを開設しました。
ロリータ・サン・ミゲル
ダンサー・振付師として有名なロリータは彼のもとでピラティスを学び、プエルトリコに移った後プエルトリコ初のダンスカンパニー、Ballet Concierto de Puerto Ricoを創立。ダンスのトレーニングにピラティスを取り入れました。
メアリー・ボウエン
コメディアンでありユング派の心理学者のメアリーは、彼のもとでピラティスを学ぶとともに精神に関する知識とピラティスの経験を組み合わせていきました。

これらの第一世代の人々の功績により、今日では世界中の多くの人に素晴らしいボディーコンディショニング法として知られるまでになりました。


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